一回貼ったら、
もう剥がれないよね?
――細菌の「錨」をめぐる、長年の思い込み
写真はイメージ Photo by GUY GRANDJEAN on Unsplash
細菌の「離れない錨」、ちょっと酸性にしたらほどけた 東京大学
細菌が人の体にがっちりくっつくための分子は、まわりがほんの少し酸性に寄るだけで、自分から相手を手放す。東京大学大学院工学系研究科の博士課程・徳永悠希さん、松長遼助教、津本浩平教授らが10月22日に発表した。強く付くことだけが取り柄だと思われていた分子なのに、だ。
話の主役は、細菌の接着分子の中にあるチオエステルドメイン(TEDと略す)という部分。チオエステル結合を持ち、相手のタンパク質と共有結合を作る。発表の言葉では、これまで「一度結合すると離れない錨のような役割」と考えられてきた。
その錨が、pHが7.4から6.0に動くだけで外れた。
血を固めるタンパク質を、菌は迷彩に使う
実験に使ったのは2つの菌だ。1つはA群レンサ球菌。咽頭炎や扁桃炎を起こす菌で、「人食いバクテリア」と報じられることもある。もう1つはウェルシュ菌。煮物料理で起きる食中毒の、あの原因菌だ。

この2つの菌の接着分子がつかみに行く相手は、人の血の中にあるフィブリノゲンだった。けがをしたときに血を固めるタンパク質を、菌は自分の表面にまとう。免疫細胞から身を隠す迷彩として使うのだ。
研究チームはバイオレイヤー干渉法でTEDとフィブリノゲンを120秒くっつけ、そのあとpHの違う液で洗った。pHが低いほど、速くほどけた。発表によると、血液とほぼ同じpH 7.4では結合していられるのに、pH 6.0ではフィブリノゲンが離れていった。
遺伝子に指令を出さず、分子だけで決めている
どこが新しいのか。速さだ。
生き物がふつう環境の変化に応えるときは、遺伝子のスイッチが入り、新しいタンパク質が作られる。手順が多く、時間がかかる。ところがTEDでは、すでに作られてしまったタンパク質が、自分の化学反応の性質だけで結論を出している。発表は、pHによって「標的との共有結合を形成する反応と、それを解消する逆反応の起こりやすさのバランスが変わる」と説明する。遺伝子に指示を出してもらう前に、分子のほうで決めてしまっている。
しかも、これは特定の菌だけの癖ではないらしい。著者らが公開しているプレプリントによると、A群レンサ球菌とウェルシュ菌のTEDは、アミノ酸の並びが26%しか一致していない。ほとんど別物なのに、どちらも同じようにpHに反応した。研究チームは、この仕組みが幅広い細菌に共有されている可能性を示したとしている。
体の中に、pH 6.0の場所はある
で、感染症の治療に使えるのか。

体の中に弱酸性の場所があるのは、確かだ。日本生化学会の雑誌に載った三木裕明氏の解説によると、がん組織のpHは6.0〜6.5まで下がる。炎症が起きている場所でも、組織の酸性化が起こることが知られているという。著者らのプレプリントも、A群レンサ球菌は感染の過程で、およそpH 5.8から7.4までの環境に出会うと書いている。
ただ、今回の発表に治療や薬の話は出てこない。書いてあるのは「病原細菌の感染機構や、土壌・海洋細菌の生存戦略の理解につながると期待されます」まで。人の体の中で本当に同じ外れ方をするかを確かめた実験も、発表の中にはない。研究費はAMED、JSPS科研費、JSTの「ACT-X」が出した。
だから、この発表をどう読むかは分かれる。感染症の薬の入り口として読むか、細菌の生き方の話として読むか。
錨の見方が変わる事実を、最後に1つ。著者らのプレプリントによると、pH 6.0でフィブリノゲンが外れたあと、同じTEDはもう一度フィブリノゲンと結合を作り直せた。この接着は、一度きりではなかった。
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