歩き疲れたら、地べたに座る?
- 歩き疲れた人が、東京・銀座の路上や店の前に座り込む例が増えていると報じられました。天気の良い3連休、有名ブランドの店や古くからの百貨店が並ぶ通りに人が集まり、座ったまま物を食べる人や、靴を脱いだ女性もいました。近所に住む人は汚らしいと話し、座っていた観光客は、歩き続けて足が痛いので、ベンチがあったらうれしいと話しました。
- 「足が痛いのに、我慢する意味ある?」
- 「靴で歩く地面に、座れますか?」
どっちの味方?最初の印象で選んでください。
あなたが味方した 座っちゃう派 の言い分
買い物帰りに足が限界を迎えたら、わたしはその場で座ります。駅の階段の端、コンビニの前、公園の縁。ハンカチを一枚敷いて、靴のかかとを少し浮かせて、ふくらはぎの重さが抜けるのを待ちます。立ったまま壁にもたれても、足の痛みは引きません。
わたしの母は、人前でしゃがむなとよく言う人でした。子どもの頃、デパートの通路で泣きながら立っていたことがあります。あのときは、母が買い物を終えるまでの時間が、いちばん長く感じられました。大人になって気づいたのは、あの我慢が誰のためでもなかったということです。わたしが立っていても、通路がきれいになるわけではありませんでした。
本音を言えば、立ったまま顔をしかめている人を見ると、少し気の毒です。見られ方のために、自分の体を痛めているように見えるからです。座る人を汚いと言える人は、たぶん、座らなくても済む距離に自分の家がある人です。
あなたが味方した 座らない派 の言い分
どんなに足が痛くても、わたしは地面に座りません。駅のホームでも、店の前でも、立って待ちます。帰りの電車でやっと座れたとき、スカートの後ろが砂で汚れていない、それだけで気分が違います。靴の裏で歩いたところに、自分の服を置きたくないんです。
実家は、玄関で靴を脱ぐことにうるさい家でした。敷居の手前で靴をそろえ、上がった先の畳では、座って食事をして、同じところに布団を敷いて寝ます。床は汚さない場所だと、体で覚えました。だから地面と床は、わたしの中では別の場所です。鞄を床に置いただけで、祖母に声を上げられたこともあります。
言わないでおきますが、通りに人が座っていると、歩ける幅が狭くなります。よけるとき、一歩外へ出るのはわたしです。疲れているのはお互いなのに、我慢しているのは片方だけだと思うと、少し腹が立ちます。
どちらにも呼ばれない立場 店の前を掃く人
毎朝、店の前を掃いているのは私たちです。座る人が増えても、座る場所が増えても、拭くところと直すところが増えるだけです。きれいにしてほしいのか、休ませたいのか、どちらの言い分にも、私たちの手間は出てきません。
理由を聞いた今、もう一度選ぶ
言い分は、世間の声をもとに編集部が脚色したものです。実際の発言と出典は、元ネタの記事にあります。
元ネタを読む →銀座の「地べた族」を嫌う日本も1990年代は地べたに座っていた